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全ての教育者に読んで欲しい、森信三先生の『修身教授録』

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先日読んだ、森信三先生の『修身教授録』が非常によかったので、まとめておきます。タイトルにはまあ、自分がやったこともないくせに、なんとも偉そうなものをつけていますが、先生じゃなくても、一読の価値があると思います。

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概要

『修身教授録』は西田幾多郎さんの教えを受け、最後は神戸大学の教育学部で教鞭を取られた森信三(のぶぞう、が本名ですが、通称は”しんぞう”だそうです)先生が、天王寺師範学校(今の大教大)の修身の授業にて教えられた、2年分の講義の記録です。全部で79回分の講義の記録からなっていて、第1講~、第2講~みたいな感じで章分けがされています。講義の時期は1937年~1939年と、社会環境は現在とだいぶん違いますが、非常に学びの多い本となっています。

また、「修身」と言えば、「昔の道徳でしょ」と捉えられがちですが、森先生は当時の修身用の教科書を、有り体に言えば、無視され、「教育者とはどうあるべきか」「人としてどうあるべきか」「人生はどう生きるべきか」というような問に対するご自身の考えを、歴史上の偉人や、ご自身の経験などを踏まえて展開されています。

刺さったフレーズ達

以下、読んでて、ああ、これはいいなあと思ったフレーズの抜粋です。

教育とは何か

教育は国家的な大業であり、次の時代の国家の運命を支配する努力だ(P30)

漠然と捉えていたことですが、言葉にするとなかなか迫力があります。これは、教師としての教育者だけではなく、あらゆる場面で指導的な立場になっている人が意識すべきことだと思います。同時に教育者の環境、というものを整えることも非常に重要になってくると感じる一文です。

教育の役割

 教育の眼目である相手の魂に火をつけて、その全人格を導くということ(P36)

上の一文を受けて、じゃあ具体的な行動としては、という文脈で出てきます。これは、むしろ現代でこそ非常に重要な考え方だと思います。技術や価値観などが変化、多様化している現代において、「正解を教えること」は非常に難しくなっていると感じています。また、仮に正解を教えられたとしても、小学生~高校生までに教わった「正解」が今後ずっと、もっと言えば、社会に出るまで、正解だと言うことはほとんどないと思います。したがって、教育に求められるのは「動機付けをすること」であり、学校あるいは教師に求められるのは「環境作りをすること」に益々比重が置かれるのではないでしょうか。

教育者の姿勢

教師自身が、常に自ら求め学びつつあるでなければ、真に教えることはできない(P35)

上記のような目標を教育者が有するとして、では、どうすべきか、という問いに対する方針です。教育者は、技術とかそういったものの専門家ではありませんので、必ずしも細かい情報に通じている必要はないかと思います。ですが、「その人格を導く」(やりたいことを見つけてあげる)ためには、ざっくりと最新の社会のことについても知っている必要があると思います。あるいは、知ることを半ばあきらめて外部から人を読んで学生を指導すべきだと思います。

読書の考え方

 諸君らが今日忙しさに口実を求めて、何ら自発的な読書をしないということは、すでに諸君らの心に”す”が入りかけている何よりの証拠です(P65)

 一日読まざれば一日衰える(P65)

行って余力あらば以て文を学ぶべし(P505)

これは僕自身も耳が痛い言葉ですが、学ぶこと、特に「読書」を通じて学ぶことに対する森先生の考え方です。同級生で先生をしているみんなの話を聞くと、やはり、とても忙しそうです。ですが、やはり、たとえ量は少なくとも毎日読み続けること、毎日学び続けること、こうした態度が非常に重要になってくるのではないかと思います。そして、若いころから少しでも勉強を積んでおけば、ある程度年を取ってから、忙しくても悠々と仕事ができるようになっていたのに、という述懐もありました。

読書についての個人的な考え方はこちらにまとめていますので、ご意見いただければ幸いです!

【読書観】歴史小説の読み方。僕が考える読むべき理由。

教育者が捉えるべき世界観

(要約です)国民教育に携わるものは、日本国内の動き、アジアの形成、世界の趨勢を見、その中で教育がどのような貢献ができるかを考える必要がある(P59)

真の教育者は、少なくとも二十年、三十年先の国家のことを、常にその眼中に思い浮かべていなくてはならぬ(P111)

非常に遠大な話ではありますが、やはり、将来子供たちが社会に出たときに力強く生き行けることを考えれば、このような視座を持つ必要があるだろうと思います。しかし、現実問題として、将来のことを十分な精度で予測することは難しいので、自分で考える力、学び続ける力、そういった力を養うことが重要だという気もします。

長所と短所

知識とか技能というような、いわば外面的な事柄については、(中略)長所を伸ばす方がよくはないかと考えるのです

自分の性格というような、内面的な問題になりますと、(中略)まず欠点を矯正することから始めるのが、よくはないかと考えるものです(P348)

長所と短所への対処の仕方について、スキルと性格で分けた方がよいのではないか、という考え方です。個人的にすごく納得のいった部分で、例えば、仕事では他の人と差別化できるようなスキルがあれば、(管理職がしっかりしていれば)十分活躍可能ですが、失敗したことを助けてもらったり、あるいはやりたい仕事をさせてもらえるかどうか、はなんとゆうか「かわいらしさ」みたいな性格に依存する部分が大きいと思います。性格で変に減点をされると、能力があっても十分に活躍できないかもしれないですし、逆に、性格がすこぶるよくても、活躍できるスキルがないことには少し難しい部分もあると思います。

教育の喜び

教育の仕事というものは、常に種子まきであり苗木を育てるようなものであって、花実を見る喜びは、必ずしも教育に本質的なものではないからであります。(P281)

「結果」を見るというのは、人としてどうしても求めがちになるところだと思うのですが(例えば、高校なら大学の合格率とかですかね)、そこを見ることではなく、しっかり種を植えて、育てること、そこに注力する、というのは非常に真摯な態度だと感じました。

再考すべき点もある

一方、やはり約80年前の講義録ですので、そのまま受け取ることができない部分もあるように感じました。そこら辺を考慮しつつ、心に響く部分を受け取っていけばいいのではないか、と思います。

ちょっと長い本ですが、気になる講義の部分だけ読んでみるのでもよいと思います!ぜひ読んでみてください~!

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